Simple Is Boring・簡素だと退屈
A story by This Idiot . 「文系か、理系か」 共同訳聖書実行委員会によると、神の正確な言葉の引用はこうである。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 これに引き替え、リビングバイブルはというと、「さあ、人間を造ろう。地と空と海のあらゆる生き物を治めさせるために、われわれに最も近い、われわれのかたちに似せて人間を造ろう。」と記述している。 ここでも興味深い相違点が沢山ありすぎて、頭の中でそれらを整理することすらできない。俺が馬鹿ならば。実際、馬鹿なのだ。 まず、人か人間を設計し造ること、それは文系か、理系か。どちらの使命なのか。 そして繰り返すが、「我々」か「われわれ」か、では味が違う。俺のような失読症の人間にとって、これは目が痛むか耳が喜ぶかの問題である。羅綾の裳裾を階の中段にひるがえし、右手に大杯を傾けながら、今しも庭前に刑せられんとする犠牲の男を眺めて居る妃の風情。 ならば俺はリビングバイブルを好むとなるのか。 そうは思わない。簡素だと退屈であり、退屈はあらゆる悪徳の中で最も邪悪だ、とボードレールも『悪の華』で謳った。差し詰め、「われわれ」は可愛らしい目立たない花のようなものである。しかし、「我々」はデータスレーブを焦らし、スピードマスターの血を沸騰させる。 そして、誰が誰の中に映し出されているのかという、全体的なの投影の構成についてはまだ何も語っていない。「我々にかたどり、我々に似せて、神を造ろう。」「さあ、アラーや、ヤハウェ、マイケルジャクソンなんかを造ろう。」法の適用を受けない小児性愛者(ロリコン)。 ところで、「空の鳥」といえば、ペンギンはどうする? [A Mission for the Humanities or the Sciences] According to the New Interconfessional Translation Bible, the exact words of God are “Let’s create a people, modeled after Ourselves, looking like Ourselves. And let’s make them rule over the fish of the ...